この巻でも、兄の照吉やその妻ミサの言動には怒りを抑えられないものがあるが、フキは全てを飲み込んで同じ家で暮らす。
労働運動に飛び込んで家族の元へ帰らなくなった豊彦や、夫を亡くしてから2人の子を残して好きな男との暮らしを選んでしまったあやに対してさえも暖かい。
ある年の暮れに、久しぶりに辰太郎の家族も樺太から新十津川に帰ってきて、一族がそろう場面がある。
その時、孫の仁が、
「うそだあ、婆ンちゃが子どもだったって」というのに答えて、フキがいう。
「外から見れば、婆ンちゃは婆ンちゃだ。九つだったなんていったって、ほかの人にはなあんも見えてこないよね。村が五十年たったといったって、だれもおぼえてなければ、なーんもない。だけどね・・・
婆ンちやにも、村にも、きのうがあったんだ。きのうのきのうもあった。仁にもあるんだろう。そのきのうの上に、いのちがつながっている。・・・」
いつも今のことに手一杯で、今辛くても明日にはいいことがあるかもしれないと前ばかり見てきたフキが、初めて昔のことを語っている。
札沼線が建設されていく様子も、ちらちらと描かれている。
建設現場のタコ部屋から、逃げてきた人を匿ったりもしている。
物語の登場人物が、馬そりに乗って滝川駅に向かったり、帰ってきた家族を中徳富駅まで迎えに行ったりしている。
今は廃止されてしまった札沼線のこの区間で、この壮大な物語が展開されていたと思うと、感慨深い。