大平洋戦争中のある学校の疎開の記録。
その学校とは、今で言う特別支援学校。
東京の光明学校という、障害のある子を受け入れていた学校です。
ほかの学校が疎開していく中で、ここだけは対象にされなかった。受け入れ先もなかった。
障害者はお国のためには役立たずと思われていたからだ。
そんな時でも、校長先生だけは疎開先を探しに長野県まで行って頼み込んだり、貸切列車を用意させたりする。
疎開先の村の人々も、歩けるようになるために懸命に訓練する子や、寮母さんや先生の姿を見て、思いを改めていく。
ものの言えない時代にも、ここまでした人がいることに勇気をもらえる。