ジャムが亡くなりました。
一昨日の夜のこと。
1日つきっきりで、鳴いて苦しそうにしたら、すぐにお腹や頭を撫でてやれました。
毛布の上から体をさすってやると、気持ちよさそうにしていました。
ご飯を作る時間に2階で1人にするのはかわいそうだから、ふわふわマットの上に横たえたまま、下に連れて来ました。
テレビもついていて、人の気配もして、寂しくなかったろうと思います。
大きな耳を立てて聞いているような後ろ姿でした。
嫁さんが先にお風呂に入ってしばらくしたら、足をふみふみするみたいに動かして苦しそうにしました。
急いで嫁さんにも知らせに行きました。
抱いてやっても苦しそうで、また横たえるとしゃっくりのような呼吸をしました。
お腹を見ると呼吸していないようでした。
でも、またしゃっくりのような息をしました。
何度か繰り返すので、息を吹き返すのではないかと思いました。
慌てて上がって来た嫁さんが覗き込んだ時、またしゃっくりのような息をしました。
それが最後でした。
あっけなく死んでしまいました。
明日もまたずっといっしょにいようと思っていたのですが。
でも、やっと楽になれたんだなと思いました。
みゅうみゅうのように長く苦しまなくてよかったのかもしれません。
嫁さんが、私を待っててくれてんなー、と泣いていました。
いつも、みゅうみゅうやニャンちゅうの肩越しに、遠慮がちに関わってくるジャムらしく、遠慮しいしいの旅立ちでした。
みゅうみゅうの時の苦い経験から、強制給餌や点滴はしませんでした。
お医者さんに行ったのも、オシッコを調べてもらうのと摘便してもらった2回だけ。
うちに来る野良さんたちにエサをあげようと玄関を開けた時、猫好きの見知らぬおじさんがいて、おじさんも2匹猫を飼っているらしく、うちも2匹だけど20歳の1匹は今まさに死にかけていると話すと、それは大往生やねと言われました。
大人しく控えめでしたが、立派な最期だったと思います。
引き付けを起こしてから1ヶ月、よくがんばってくれたものです。
えらかったね、ありがとうねと何度も何度も伝えることができました。
しんどい時も、二階に上がって来てジャムっちーと呼ぶと、こちらを振り向いてくれました。
元気な時は、ニャンちゅうを撫ででいると、ぼくもぼくもーとのっそり近づいて来てくれました。
布団の中の自分の場所が決まっていて、ぼくの左の腕の中、ニャンちゅうよりもぼくの体に近い方がジャムの定位置でした。
夜中でもお腹が空くと、ぼくの顔を軽く噛んで、何かくれーと訴えていました。
怖がりでおとなしかったけど、かまってほしい時は大きな声で鳴きました。
身軽で、若い時は襖を駆け上がって、箪笥の上に登っていました。おかげで、襖はボロボロ。
手足がながく、おばあちゃんからアメリカ産と呼ばれていました。
2階の部屋に一人ぼっちでこもっていた頃、お風呂上がりに着替えをとりにその部屋に入ると、寄って来て喉をゴロゴロ鳴らしてくれました。
たくさんの思い出をくれたジャムっち、ありがとう。
また会おうね。
どうか安らかに。
亡くなった時には、いつかこの時が来ると思って冷静でいることができましたが、これを書いていると涙が溢れてしまいました。
一夜明けて昨日は、とてもいいお天気でした。
みゅうみゅうが亡くなった時も、翌日はお日様が眩しかったのを思い出しました。
ジャムはきっと、みゅうみゅうに迎えに来てもらっていることでしょう。
ブログでジャムのことを見てくださったみなさま、ジャムのことを知ってくださってありがとうございました。