やったー、大和川付け替えの企画展やってる。
付け替えの本当の理由?
度重なる洪水の被害をなくすためじゃなかったのか。
中甚兵衛たちが奔走したからでは。
幕府は何度も訴えを却下し、河村瑞賢に安治川の川浚えをさせて、これにて一件落着、以後は川違えの願いを出すことまかりならぬときつく命じていたようだ。
だから、中甚兵衛たちが1703年にさらなる川浚えを願い出たときに、実は川違えをする計画があると聞かされて驚いたそうだ。
当時の奉行は、万年長十郎。
万年長十郎、懐かしい名前だ。
幕府は、付け替えをすれば元の川筋にできる新田で年貢が見込めると考えたのだ。
そして、できるだけ幕府のお金を使わずに姫路藩や岸和田藩に工事を命じて安上がりに完成させた。
なんともはや、幕府ともあろうものが・・・。
がっかりであります。