いちばんべったこ

tabi noti dokusyo tokidoki guti

おみくじマニア

おみくじマニアを自称するアキのリクエストで、橿原神宮に向かう。

八木に戻る道の途中、甘樫の丘を過ぎたところを左折すれば、橿原神宮駅に一直線。

でも、線路がY字型になってるので、駅を越えてからが少しややこしかった。

 

流石に橿原神宮はそれなりに賑わっていた。

 

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木の中の魚

2回目を読み終えました。

今回はマーカーで線を引きながら読んだ。

というのも、月末の研修会でぜひ紹介したかったから。

1回目もすごくよかったけど、2回目にはこんなこと書いてあったっけ、と思うようなことにも気付けた。

『木の中の魚』っていう題名に込められた意味も分かった。

 

あとはどうやって紹介するかだ。

 

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そっちへ行ったらあぶないにほんご

村中李衣さんの本。

20年ほど前に、雑誌『ちいさいなかま』に連載されていたエッセイをまとめたもの。

『ちいさいなかま』はいいなと思いつつ、少し距離を置いて眺めていた。

今なら、とてもいいなと思える。

地に足つけて子育てしてきはったなと思う。

うちとはえらい違い。

10歳だった娘さんが、アンネの隠れ家を見にオランダに行った件で強く思った。

 

きらめく言葉がたくさんあった。

 

 

もしもあのとき、みっちゃんが「いいですよ。五十円負けときましょう」といったなら、私たちの胸には「おまけしてもらった」という記憶しか残らなかっただろう。

 本当の心遣いとは「私があなたのために」とか「私がやってさしあげましょう」というような「私が」、「私が」を消して、ただひたすら、この瀬戸内のかぜのように、心地よさを送りつづけることなのかもしれない。

 

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飛鳥大仏

都が移され寂れていたのを、村人たちがわら屋根をつくって守っていたとか。

大火にもこの大仏さんだけ焼け残ったそうだ。

少し斜めを向いてはるのは、聖徳太子のいた寺の方角だから。

見る向きによって、表情が変わります。

 

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