行きの電車の中で読了。
村山由佳さんの本。
京都の古本屋さんで発作的に買ったのは、セカンドシーズンの5巻目。
存在は知っていたけど、今まで一巻も読んでいないのに5巻目から読んでしまうとは。
この人の流れるような文章には、すぐに引き込まれてしまいます。
間違いなく、文章の天才です。
たとえば次のような所。
まだ若かった頃のオリジナル音源なんだろう。優しく柔らかく、まるできれいな水みたいに透きとおった声が、車の中をひたひたと満たしていく。
僕は、自分のを飲みながら、カップ越しにアレックスのほうをうかがった。さっきから彼女は断固として僕を見ようとしない。まるで壊れた扇風機みたいに、ある角度からこっちへは絶対に顔を向けないのだ。
こんなふうに痛みや苦しみを忘れていってしまうからこそ、人間は次もまた愚かな無茶をくり返すんだろう。
けれど、すべての痛みや苦しみが均等に遠くなるものかといえば、それは違う。自分が原因の、自分に落ち度のある過ち➖身の裡から突きあげるその苦痛は、他者かもたらされるものよりもはるかに深く心に食いこみ、はるかに長く残る。おまけに当人は、その苦痛が早く取り除かれることを必ずしも望まない。なぜなら、できるだけ長く苦痛が続くことこそが罰であり、罰を耐えることによって、罪を償っているかのように錯覚できるからだ。実際には何の償いにもなってなんかいないのに。
思うに、こうだと決めつけないで、こんな違った見方もあるんだと示してくれるところがいいのかも知れない。
いったん納得しても、またさらに深くふさわしい言葉に置き換えているのもすごい。
もちろん、地道で細かな取材があってこそだと思いますが。
さて、この後、何巻を読めばいいかなあ。