いちばんべったこ

tabi noti dokusyo tokidoki guti

黒潮のはてに子らありて

ようやく読み終えた。

かつてこんな先生がいたんだと尊敬の念が湧くとともに、誇りにも思う。

高津勉さん著。

この本を知って、読むことができてよかった。

この本が世に出たのは昭和36年

青ヶ島での10年間の記録をまとめたものだから、戦後まだ10年過ぎていない頃の古い時代のことではある。

でも、発展を遂げつつある大都会と、時代から取り残されたような孤島との格差は、今と少しも変わらない。

それは、初めて島を出て修学旅行で東京に行った子らの感想からもわかる。

八丈島からさらに南、伊豆諸島のいちばん果てに青ヶ島はある。

定期便は一ヶ月に一回。しかも、島の周りがほとんど崖のように海に落ち込んでいるため、船がつけるまともな港がない。波が荒いと、艀作業ができないから、定期船は島につけずに帰ってしまうことも少なくない。

大学を卒業してこの島に赴任した高津さんも、子どもたちや島の人から、「いつ帰るのか」と来た時から聞かれ通しだったという。

たしかにそれまでの先生は、隔絶された島の暮らしに耐えかねて、2、3年で帰ってしまうのが当たり前だった。数ヶ月持たなかった人もいた。

そんな関係では教えることなどできないと、迷いながらも島の人たちの中に溶け込んでいく。内地に帰った短い間に結婚相手を探し、島に連れ帰って一緒に暮らした。

飲めない酒やタバコも島の人と繋がるために嗜んだ。

いいことばかりではない。長女の英子ちゃんは島で亡くした。

子どもたちと、島の学校と、島の暮らしのために10年間、青ヶ島で暮らした。

島を出て行った教え子の面倒も見て、たぶんこの本を書いた後もずっと、その活動を続けられたことだろう。

高津勉さんは、金沢嘉市さんとともに、忘れられない人となった。

 

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