いちばんべったこ

tabi noti dokusyo tokidoki guti

急性期の中の急性期

ここしばらく小康状態が続いていた母ですが、昨日の夜半、携帯の光で目を覚まされました。

施設からの電話で、40度の熱が出ているので、救急車を呼ぶとのこと。

すぐに着替えて向かいました。

救急車はもう到着していて、開いていた施設の自動ドアからぼくも部屋に上がりました。

母はちょうどストレッチャーに移されたところ。

意識はあるようでした。

救急車に乗り込んで酸素マスクをつけてもらい、そこから長い長い受け入れ病院探しの時間が始まりました。

まずは、前回入院していた病院にかけてもらいましたが、今は入院は受け入れていないとのこと、何年か前にお世話になった隣の市の病院も満床でダメでした。

他のいくつかの病院も、初診はダメとか熱はダメとかで、次々断られました。

ぼくも救急車から一旦降りて、施設のケアマネさんに施設と提携している病院を聞きましたが、今は受け入れてないとの返事でした。

必ず見つかりますので、と救急隊の人は励ましてくれましたが、その後もことごとく断られ、時間はどんどん過ぎていきました。

今日は厳しいですね、と救急隊の人も首を捻り、もうかけるところがなくて困り果てている時に、市立のセンターにかけて「こういう時は、一緒に探してもらう決まりですよね」と強い口調で話してくれ、結局そこで条件付きで受け入れてもらうことになりました。

32件目、2時間半経っていました。

遠いところですので、高速を使って運んでくれました。

やはり、腸閉塞の再発でした。

点滴してもらい、ようやくベッドに落ち着いたのを見て早朝電車で家に帰り、施設に入院の荷物をもらいに行って、お昼にもう一回手続きしに行ってきました。

そしたら、もうソーシャルワーカーさんが転院の相談をされ、あれよあれよという間に、転院先が決まりました。

しかも、転院日は明日です。

病院の事情に詳しいアキが、急性期の中の急性期やからと言っていました。

コロナ禍のなかで、本当に医療は大変です。

ちなみに母は陰性でした。

感染者数が初めて1000人を越えた日に、診てもらえる病院が見つかったことがありがたいです。

関わってくださった全ての方々に、感謝しかありません。

 

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